クルド人問題
クルド人は現在トルコ、イラン、イラク、シリア、アルメニアの隣接する国境の山岳地帯に分布し生活している少数民族でクルド語を話す固有民族とされている。クルド人の90%がイスラム教スンニ派と言われており12世紀にはこの地域でその存在が確認されている。クルド人は現在国家無き民として中東地区に様々な問題を起こしている。

クルド人は第一次世界大戦前にはオスマントルコ帝国とペルシャ帝国に自治を認められていたが、その後の中東民族の独立意識に押される形で帝国の中央支配に反発。戦後敗戦国となったトルコは戦勝国の圧力でセブール条約を受諾。同条約に基づきクルド人の独立を一旦は決定する。しかし3年後の1923年ロシアに対する反共緩衝地帯としてトルコを利用したいという西側の思惑からローザンヌ条約を締結。トルコに対して共和制の維持を条件にクルド人国家の独立反故を黙認した。

一方ソ連は第二次世界大戦中にクルド人を支援しイラン北西部にクルド人国家を建設する。しかしイラン軍の手により僅か一年で国家は消滅。歴史に翻弄されたクルド人は再び国家を失う事になった。第二次大戦後の中東でクルド人はどの地域に於いても反政府の立場をとりそれが各国家の悩みの種になっている。さらにこれらの5つの国家は敵対関係にあるものが殆どで敵地域に居住するクルド人を使って対象国に揺さぶりをかけるなどの道具に使っている。これがクルド人の立場を一層厳しいものとしている。各国は機会があればクルド人を追い出したいと考えており、クルド人は戦火の度に被害を受けている。

イラン・イラク戦争中の1988年にはイラク北部に住むクルド人がイラク軍の化学兵器攻撃を受け6000人の民間人が殺害された。またアメリカ軍は湾岸戦争後に反イラクを掲げるイラク領内のクルド人組織クルド戦線にフセイン政権打倒を扇動。しかしアメリカの政策転換に会い支援を得られぬまま孤立。イラク軍による報復と弾圧が強まる結果となっている。

クルド人は再三に渡りトルコ南東部での独立を主張していくがトルコ政府にとって南東部は中東では数少ない水源地帯であり、かつ石油が豊富に埋蔵されている地域でもある。経済的側面からもそれら地域を失うのはトルコにとって得策ではなく、クルド人の独立のための闘争は終わりを見る事が出来ない。
■イラク戦争とイラク在住のクルド人
9.11のテロを切っ掛けに始まったアメリカの対テロ戦争は2003年3月にフセイン政権打倒とイラク民主化を掲げたイラク侵攻となってクルド人に大きな転機を与えた。これまで散発的なフセイン政権打倒活動を行っていたイラク在住のクルド人にとってはまたとない機会であったが一方で湾岸戦争時にアメリカ軍に呼応協力したにもかかわらず充分な支援を受けられないまま孤立し結果としてフセインの報復攻撃を受けている点から再びアメリカに見捨てられるのではという不審の声も挙がっていた。しかしアメリカ軍は北部からの侵攻拠点をクルド人の支配するモスールとし、重要な戦略拠点と位置づけていた。アメリカ軍は周辺国からの侵攻が始まると同時に陸軍空挺部隊、特殊部隊を中心とした部隊をモスールに降下させフセイン政権打倒をアピールしクルド人の協力を取り付けることになった。クルド人にとってフセイン政権打倒はクルド人国家の建設に大きな前進であると信じているが、イラク人全体から弾圧されていたことに変わりはなくアメリカ軍もイラク北部制圧後はクルド人部隊をアラブ人地域へ侵攻させることを許可していない。イラクでの戦闘は2003年12月現在既に終結しているものの全土でアメリカ軍及び同盟軍へのテロ攻撃は止まず収束の目処は立っていない。クルド人問題は先送りのままである。
■クルド人の分布と周辺国家との関係
地図上緑色のエリアはクルド人の分布状態。イラン、イラク、シリア、トルコ、アルメニアの国境を中心に分布している。黄色のエリアはイラク国内に設けられたクルド人自治区。
支援国家 敵対国家 備考
イラン居住 イラン
イラク居住 米国 イラク クルド民主党(KDP)とクルド愛国同盟(PUK)の統合体である反体制組織「クルド戦線」を持つ。反フセインを掲げ湾岸戦争後はアメリカの支援を受けた。
シリア居住 シリア
トルコ居住 トルコ トルコ南東部にクルド独立国家を建国し武装闘争を続ける左派武装組織PKK(クルド労働党)を持つ。トルコ政府に対して自治権を要求
アルメニア居住 アルメニア