キューバ問題
アメリカの保養地と呼ばれたキューバはコロンブスが最初の航海で到達したカリブ海最大の島で1511年にスペインに征服されて以来植民地となった。スペイン人は先住民を苛酷な労働と疫病で絶滅させその後アフリカから奴隷を輸入。それ以来アフリカ系人種による独立運動が盛んになり二度の独立戦争を経てその独立を1902年に果たす事になる。しかしアメリカ政府が先のアメリカ・スペイン戦争の勝利により、スペインに代わり今度はアメリカが植民地化を計画。内政干渉を開始した。フロリダ半島沖わずか150km沖にあるキューバは攻防の要衝である事から軍事基地が置かれた他、カジノや保養施設、売春施設などを備えた権力者の裏庭となった。また世界最高級とされる葉巻やラム酒、砂糖、更に軍需産業に欠かせないニッケルが豊富で、豊かな天然資源に恵まれている事からもアメリカにとってもキューバの植民地化は重要な事であった。しかしその裏でキューバの貧困層は全体の9割を占めており一部の支配層とアメリカ企業などが富を独占し島の豊かさとは相反して民は苦しんでいた。

この事態に対して革命思想家として知られていたフィデル・カストロとアルゼンチン生まれの革命家エルネスト・チェ・ゲバラがアメリカの傀儡政権を倒すため山岳地帯に籠もりゲリラ戦を展開。貧困層が多かった事から革命への賛同者は後を絶たず1959年にはバティスタ大統領が国外逃亡、キューバ革命は成功した。カストロはアメリカ企業の資産などを没収した事からアメリカ政府の反感をかいCIA(アメリカ中央情報局)は反共ゲリラを組織し1961年には大規模構成をかける。アメリカの反撃に対して危機感を募らせたカストロは当時アメリカ最大の敵であるソ連に接近。ソ連がキューバの共産政府を保護する名目で密かにソ連製ミサイルと軍事顧問団を配備。米国本土を射程に入れる核ミサイルの配置によりキューバ危機が勃発する。

米ソを全面核戦争寸前まで追いつめたこの事態はケネディ大統領とフルシチョフのホットライン会談の末、ソ連のミサイル撤去で解決を見るがこの事態にアメリカのキューバ政権に対する不信感は増大していく。1965年にはカストロ議長が共産主義宣言を行い民族主権、貧困解消を目標にカリブ海初の共産国家が誕生する事になった。アメリカの保養地と言われたキューバはその時からアメリカの喉元に突き立てられた刃となりソ連崩壊、東西ドイツの統合など共産国家の消失を経ても事態が好転する事はなかった。この間もアメリカ政府は40年間に渡り制裁措置をとっておりキューバ政府も歩み寄りの姿勢を一向に見せてはいない。

キューバの歴史
1492年 コロンブス最初の航海でカリブ海最大の島(キューバ)を発見
1511年 キューバスペインに征服され先住民族が滅ぼされる
その後アフリカから黒人奴隷を植民
1868年 第一次独立戦争
10年間に渡る戦争。独立は失敗
1895年 第二次独立戦争
1898年 アメリカ・スペイン戦争
1902年 キューバ独立。グアンタナモにアメリカ海軍基地を建設。
1959年 キューバ革命(キューバ民族主導革命)
1961年 CIA主導の反共産軍の大規模攻勢。
ビッグス湾事件
グアテマラでCIAの訓練を受けた亡命キューバ人部隊が海と空から上陸。部隊は撃退され作戦は失敗
1962年 キューバ危機
1965年 共産主義宣言
アメリカ経済制裁開始
1976年 フィデル・カストロ国家評議会議長に就任。独裁体制に
1990年 アメリカ在住の亡命キューバ人、武装しキューバに大量密入国を計る。
アメリカ了解で拿捕が続く。
1996年 領空侵犯を繰り返したアメリカの民間機2機をキューバ軍機が撃墜。
1997年 ホテルなどの観光地で亡命キューバ人による連続爆破テロ
1998年 ローマ法王ヨハネパウロ二世キューバとの和平を世界に向け演説